大日本印刷 ggg「平野甲賀と晶文社」展 1月22日~3月17日開催
2018年01月09日
大日本印刷(DNP、北島義俊社長)のギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)では1月22日から3月17日まで「平野甲賀と晶文社」展を開催する。入場無料。日曜・祝祭日休館。
平野甲賀は1964年から1992年にわたり、晶文社の本の装丁を一手に担ってきた。ひとりの装丁家が30年近く、ほぼ一社の装丁をすべて手掛けるのは稀なことで、当時のカウンター・カルチャーの旗手でもあった晶文社のスタイルを作り上げ、出版界に旋風を巻き起こしてきた。
同展では、平野甲賀が半世紀かけて7,000冊以上手がけた装丁作品の中から、晶文社の装丁本を中心に約600冊を展示する。
また、2014年から瀬戸内海の小豆島に移り住んだ平野甲賀氏が、毎日写経のように自身の装丁ともうひとつの活動である舞台やコンサートのチラシやポスターを手直しし、作品上にメモまで書きつけ、竹和紙に刷り出した作品およそ80点も合わせて展示する。
装丁本を手に、本と出版と時代と装丁家の密月な関係に思いを馳せよう。

■平賀甲賀
1938年、父の赴任先京城(現:ソウル)に生まれる。装丁家、グラフィックデザイナー。
1957年、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学。在学中の1960年、『見るまえに跳べ』(大江健三郎の小説)で当時グラフィックデザイナーにとっての登竜門的存在であった日宣美展(日本宣伝美術会)特選を受賞。卒業後、高島屋宣伝部に入社、その後フリーのグラフィックデザイナー。
1964年から1992年の30年弱にわたり晶文社の装丁を一手に担う。ひとりのデザイナーが一社の装丁を全て手がけるのは希有なことであり、当時カウンター・カルチャーの旗手であった晶文社のスタイルを作り上げ、出版界に旋風を巻き起こした。装丁の仕事は他社にもひろがり、独特の「描き文字」、躍動するデザインの装丁は現在に至るまで7,000冊におよぶ。
1960年代半ばから、晶文社の編集者でもあった畏友津野海太郎とともに演劇活動に参加。六月劇場、劇団黒テントを中心に演劇ポスターやチラシをつくり、舞台装置も手がけた。
1973年、植草甚一編集の雑誌『ワンダーランド』のアートディレクターとなり、新鮮な誌面づくりはいまだに伝説となった。1978年から高橋悠治らが始めたバンド「水牛楽団」、アジア民衆文化通信『水牛通信』の活動に加わり、演劇活動とは別の表現方法を獲得していく。これはいまでも平野甲賀の根底を流れている。
2005年から2013年、神楽坂上の岩戸町に小劇場「シアターイワト」をオープン。
2014年より香川県小豆島に移住。

【賞】
1984年、木下順二『本郷』の装丁で講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞
2013年、劇団黒テントともに、毎日デザイン賞団体賞受賞

【展覧会】
1992-94年、装丁をリトグラフで再生した「文字の力」展を国内外で展開。
2013年、武蔵野美術大学美術館「平野甲賀の仕事1964-2013展」
2014年、小豆島醤油会館「文字に文字展」
2016年 台湾台中市緑光ブックマルテ「平野甲賀の描き文字展 小豆島から台湾へ」

【著書】
『平野甲賀 装幀の本』(リブロポート)
『平野甲賀 [装丁]術 好きな本のかたち』 『文字の力』 『きょうかたる きのうのこと』(晶文社)
『僕の描き文字』(みすず書房)

【フォント】
「コウガグロテスク」